子どもが学校復帰するとうれしい。
最近、わが子(小3娘)が学校に行こうとしている。
・クラスの先生が柔らかい対応をひたすらしてくれている。
・母親がひたすら受容+穏やかに説明できるようになった。
・近所の子と友達関係が安定
が重なっていることが大きい。
素直に学校に行ってくれると嬉しい。
YouTubeの音がしない静かな時間がある。
夜、子どもは疲れて寝るだろう。
子どもの心配をしなくて良い日が来るかもしれない。と期待が持てる。
実際のところ、子どもはまだしんどい。
でも、実際に学校に行くと、子どもにはしんどいことがたぶんたくさんある。
・さみだれ登校していても、クラスには友達はいない。
・勉強についていっていないから授業は意味不明
・宿題をこなせない
等といった、クラスでのしんどさがどうしてもある。
放課後登校したり、別室登校したりして、勉強に慣れていくのが多い流れだが、
娘は、それは嫌、とのこと。
何度か、登校しながら慣れていく方針らしい。
別に大丈夫、とのこと。
1学期の後半に3~4回登校していたため、ハードルはもう高くないようだ。
親が焦らないことが大事というが
不登校対応は全体的に、親が焦らないことが大事、という。
これは、本人が判断することで試行錯誤するチャンスを与え、自分で人生を進める自由感を得ることが、
何よりも学校復帰に近づけるからだ。
でも、親は焦ってしまう。
新学期が近づいてくると、夏休み等で落ち着いている子どもを見て、学校に行けそうと思ってしまうのだ。
でも、子どもは、行けそう、行きたい、と思っていても、登校するという選択を、親が先にしてしまうと、”親の言う事を聞く”という構図になり、自分で選択するチャンスを失う。それでは学校へ復帰するチャンスがつぶれてしまう。
具体的には、学校が始まる日にちを教えないことが大事だ。
2学期の最初は、夏休み明けのふわふわした雰囲気の中、他の生徒たちも不安定なので、あまり学校復帰には向いていない。
「学校この前、始まったらしいよ。」そう言ってみるとちょうどいい。
学校が再開したことを知り、親が気にしていないことを知り、うちの娘は
「えっ、まじか。それは暇だな。。。行こうかな」と言っていた。
「勉強は暇だからするぜいたく品だ。」この言葉を思い出した。
このタイミングで親ができる事は無い。
このタイミングで親ができる事は無い。と痛感する。
家事と子どもの準備を手伝うこと以外は、遊びと時間を共有してニコニコすることくらいだ。
先日、かなり回復してきた生徒のお母さんが言っていた。
「子どもには、テキトーに羽ばたいていってほしい。」
まったくその通りだ。
このスタンスこそが、学校復帰の大事な仕組みの一つである。