いつも、不登校のご子息のご対応、お疲れ様です。
NPO法人ステップの原です。
先日、九州教育経営学会に呼んでいただき、福岡教育大学に伺いました。
若輩者ながら、大学の恩師の元兼先生が私を思い出して下さったことがきっかけでした。
今回のテーマが『不登校と教育経営』ということで、弊社の組織運営についてお話をさせていただきました。
その場で感じたことや、印象深かったことを、書き残します。
(記憶を元に書いているので、言葉や表現が正確ではないかもしれません。不適切な表現などあれば、ご意見をいただければ幸いです。)
私の講演内容
ちなみに、私が講演させていただいた趣旨は、「理想的な不登校支援を組織で実現するために、どう組織を作っているか」というものでした。
- 生徒にとって魅力的なスタッフを集める
- 保護者にとって頼れるスタッフに育てる
- スタッフにとって辞めたくならない組織作り(人を大切にする経営)
についてお話しました。
印象に残った話と思ったこと
「子どもに合わせた学校」
ある先生が「(教育経営学では)”学校に子どもを合わせる”よりは、”子どもに合った学校を作る”という発想に変えていかなければならないのではないか」というご意見を言われていました。
本当に、その通りだと思います。
私は、「学校の先生が、『目の前の子どもに合わせてこうしたい』と思われたことを実践するべき」と思います。その子の社会的な将来のために何が必要かは、担任の先生が一番わかっていると思います。
小5の担任の先生と、30才くらいの時に同窓会でお話ししたことがあります。
小5は完全不登校中でしたし、家庭訪問で話すことも私が拒否していたので、先生と話すのは初めてでした。
「担任として、あの時君にしてあげられることはあったか?」と聞かれ、私は「ありませんでした。」と答えました。先生は「やっぱりそうだったか」と肩をなでおろしていらっしゃいました。
私は、すごい先生だなと心から思いました。
「家庭訪問などで会った方がいいんじゃないか」、「学校への意識が無くなってしまうのではないか」などと、当時も様々なご意見があったと想像しますが、その先生は「担任ができることは今はない」と判断されていたのだと思いました。
また、同時に「学校の先生が目の前の児童生徒には、この教育は必要ない」と思われた場合、止めることも大事だと思います。
現場の先生の判断が優先されることを願っています。
教育経営の実践
ある先生から、「まさに教育経営の実践を感じる。」とのご意見をいただきました。
私が大学時代に学んだ、教育経営の考え方は、
- 時代に合わせて子どもの教育目標を定めること
- 仕組みによってそれを実現すること
この2つでした。
ゆとり教育の中の「生きる力」や、教員免許制度、教員評価制度を考えている研究室にいました。
当時の私には難しすぎる内容でしたが、上の2つの考え方だけは、しっかりと染み込みました。
頑張って試行錯誤してきて、それを褒めていただいたようで、とてもうれしかったです。
24才の時に会社を廃業し、それでも不登校支援をしたいと再度挑戦して、本当に良かったです。
廃業の時の自分が報われたようです。
日本の学校はすごい。
ある方から、「よく最先端とされる北欧の教育は、自由度は高いが学力が下がってしまい、見直す方針になっている。(世間では)日本の教育を否定する流れが多いが、日本の教育は一定以上の水準を保てている。すごいことだ。」とのお話がありました。
私もその通りだと思います。
日本の学校はすごい!
とにかく先生がすごい!
公教育の変え方
公教育の変え方について話している時に、
「ばさーっ!と一気に変えないと変わらない」「公教育のカタチが古くなってしまい、限界が近づいているのを感じた。」などのご意見をいただきました。
原が考えたこと
そこで、考えました。
一気に変えるのって、難しくないかな。
そして、一気に変えるのも、今回は分かりやすい理想のカタチがないので、難しいと思いました。(画一的で平等な教育を止めて、ムラのある教育を地域の状況に合わせてやりましょうという方針転換について)
今変えるべきのは、先生のマネジメントの方針だと思います。
不登校は、「今の学校に合わない子」であると理解しています。
だから、不登校の統計で、「不登校の児童生徒が増加」=「学校に合わない子が増えた」と見てはいません。前提として、社会も子どもも変化します。だから、その変化に学校の改善が追い付いていないから不登校が増加しているんだと捉えています。
つまり、不登校の割合とは、反対側から見ると、学校が子どもに合わせた改善ができていない割合だと思っています。
なので、今、学校のいろんな要素が子どもの実情に合わなくなっているから、3.7%の児童生徒が不登校になっていると考えます。
私が小3の時に学校で不適応だった部分は、体罰でした。
忘れ物をすると体罰があるクラス運営でした。
父親の暴力を経験している私は、体罰のある教室の考え方や価値観(担任の顔色や感情を元に全員がすべてを判断する感じ)がとても苦手で、すぐに不登校になりました。
でも、体罰はその後、その学校からすぐになくなりました。
私が不登校になったと同時期にマスコミが体罰禁止を叫び始めたのです。
3年後、小6の時に同じ先生が担任だったのですが、体罰の無い、明るいクラス運営をされていました。
算数の時間に「直方体」を「血を拭く包帯」と絡めてダジャレを言い、皆算数が好きになっていったのを覚えています。
まるで別人のようでした。
学校は変われます。
教育行政も変われます。
でも、その改善した姿は、今の学校の延長線上にはないかもしれません。
学校を変える最初の一手目は何か。
だから、個人が「ゼロベースで新たに学校制度を作るとしたら、どのような理想を描くのか」を考えるところからスタートします。その個人個人の理想を連鎖させ、教育体系を作ることが最善策と考えます。(創業した会社が、組織化する流れと同じです)(元麴町中学校長の工藤先生も同じことを著書で書かれていたように記憶しています)
もちろんそこには、先生の考え、管理職の考え、教育長や教育委員会の考え、児童生徒や保護者の考え、様々な要素が入った方が良いのですが、あくまで個人の考えをベースとすることが大事で、大義名分は不要です。小さな意見がとにかく大事です。
先生の手を空ける
放課後登校のことを話している時に、現役の学校教員の方からご指摘をいただきました。
「学校の先生は頑張って放課後登校をする。先生は言わないが、実際のところ、残業時間が増えてしまうことも課題」
本当にその通りだと思いました。
学校の先生のご厚意に甘えていた、私の至らなさを痛感し、教訓としました。今まで私の生徒たちの学校復帰のために残業をしてくださった先生方に、この場で感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
さて、教員の残業については減らすべきだと思う以上に、むしろ、業務内容の取捨選択を理念から考えた優先順位によってするべきだと思います。
お給料をもらって働く時間を契約しているんだから、それ以上働かないとできない業務量があるのに、それをすべきこととされていることが問題だと思います。
それを大前提として、以下を考えました。
残業してまで放課後登校を引き受けてくださった、今までの先生方が、残業せずに放課後登校できればもっと良いなと思いました。
(放課後登校が、不登校後回復した生徒が学校復帰するため・短期間で教室に行くためという前提)
クリエイティブさが、教育には必要だと思います。
クリエイティブな力を発揮するためには、手が空いている必要があります。
タスクが終わり、空き時間が無いと、クリエイティブさは出ません。残業中の疲れている状態でのクリエイティブさは非効率です。
先生の業務時間中に空き時間ができたら良いなと思います。
学校が子どもに選ばれるには
どうやったら、「行くのを嫌がる学校から、選んで来てもらえる学校になることができると思うか?」とのご質問を受けました。
「学校の先生が、現場で要ると思うことをやり、意味が無いと思えることを止めると良いと思う」と答えました。
端的に答えるしか時間がなく、言葉足らずだったと思うので、ここで補足したいと思います。
教育を実践しているのは、一人の先生です。
その先生が目の前の児童生徒から得た情報を、教育活動を通じてその生徒に還元することがやりにくい組織体制が問題だと思います。
一例です。
弊社で担当している中3生徒について、担任の先生から「〇〇で苦しいと思うのですが、10月ですし、何とか進路を考えてほしいと思って」と言われたことがあります。
先生にこの気持ちの詳細を伺うと、
・〇〇で苦しいと思う(実際は進路なんて考えている場合ではないと知っている)のですが、
・(会議で進路希望が決まっていないことを指摘される)10月ですし、
・(カタチだけでも)何とか進路を考えてほしい(そうすれば、進路への意識が高まって、次の教育機関につなげることができる)と思って(実際は2月ごろでも良いと知っているが)
ということでした。
思いのある良いメッセージだと私は思いますが、この()の中を伝えないと、想いは伝わらないと思います。この時、私から生徒に()の中を含んだ状態で伝え、その後進路を決めて進学しました。
先生が、目の前の生徒のために思っていることを、そのまま伝え、行動に起こすことが、まずは、良い学校になる一手目だと思います。
まとめ
私は、不登校になっても困らない社会を目指しています。
私の苦悩してきた実践、今までうまく行かなかったり、試行錯誤につきあわせてしまった生徒たちのおかげで、少しでも良い世の中にしようともがいています。
今回の学会でその試行錯誤をお話でき、皆さんにかけた迷惑の幾分かを社会に還元できたので、うれしかったです。
ちょうど、このブログを書いている時に、厚生労働省が作るひきこもりハンドブック作成のために、公的支援機関よりメールがきました。本当に効果のあるものを作るために、弊社のような小さい支援団体にまで意見を求めてくれる、良い時代の風を感じます。
NPO法人ステップ 理事長 原 昌広